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石田陽子さん・享さんご夫妻
石田陽子さんは三沢市ご出身で、仙台市にある専門学校に通われていました。明るく笑顔の絶えない活発な雰囲気の方です。お子さんは4人で、三沢で就職して2006年に結婚されました。パートナーの享さんとは同い年です。
石田享さんは神奈川県相模原市ご出身で、神奈川県内の高校・大学を卒業され、大手製薬会社のサラリーマンとなりました。20年前に青森県内の上十三地区(三沢市、十和田市及び上北郡7町村)を5年から7年ほど担当され、その後八戸市や北海道の転勤を経験なさいましたが、「長女の一声」で三沢市に引っ越されました。
インタビューは、三沢市街地のカフェ兼ライブハウス・イベントスペースの「クロスロード」さんでおこないました。
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仲地 紀迪
自然豊かな、子どもにとっての「ふるさと」
石田さんご家族が三沢市に引っ越すきっかけは、娘さんの「三沢に引っ越したい」という一言でした。娘さんがなぜ三沢市への思いを強くしていたのか?石田さんご夫妻は、娘さんの子どもの頃のご経験について、そのお考えを熱く語られています。
陽子さん:娘は長期の休み(夏休みなど)といえば、学校が始まるくらいまで祖父母のいる三沢に連れていき、遊ばせていました。私が娘を三沢のいろいろなところに連れて⾏ったりしていたから、好きになったのかなぁ。三沢の祖父母と交流しているうちに、家族で住みたいな、みたいに思ったのかもしれないですね。娘が小さな頃、三沢の祖父母と別れるたびにすごく泣いていたのを憶えています。
このお話から、きっと小学生の頃の娘さんにとって、三沢は陽子さんのご両親と思い出のある「ふるさと」になっていったのだと思いました。享さんはいわゆる「転勤族」で、ご家族はいろいろなところへ引っ越されていました。陽子さんも、「転勤族だし、三沢に帰ってくることはない、主人が定年になるまではないなって思って腹をくくって生きていた」とおっしゃっています。
それは、娘さんが中学校に入学するタイミングでした。
陽子さん:⻑女が中学校に上がるタイミングで「もう私、転校したくない」、「どこかに定住したい」と言われて…そうなると、当時住んでいた札幌にそのまま落ち着くのかなって思っていました。でも、長女から「おばあちゃんのいるところ(三沢)に行きたい」と言われたのが三沢に住むきっかけかもしれないです。
いつも夏休みに遊びに行っていた思い出があったからこそ、娘さんはこのとき「三沢で暮らしたい」と提案したのでしょう。そして、石田さんご夫妻も、娘さんの思いを理解したからこそ三沢に移住することを決心できたのでしょう。家族の移住の物語を聴きながら、心温まる思いでした。
三沢のいいところ
そんな娘さんの「ふるさと」の思い出を育んだ三沢のいいところとして、恵まれた自然環境のお話をうかがいました。三沢は海や湖へのアクセスがよく、温泉がいくつも湧き出ている一方で、山や川が近くにないため、自然災害が少ないという特徴があります。
陽子さん:海もあって、湖もあって、温泉もあって…。災害はたまに地震が来るくらいですけど、大きな⼭や川がないのでそれに関係する被害が少なく⾃然に恵まれていますよね。
こうした自然環境を活かして、「もっと子どもの遊び場や、レジャー施設ができればさらにいいのに…」と陽子さん。また、「暮らすには申し分ない」とおっしゃる享さんは、「観光客の方におすすめを聞かれたら、わかりやすい観光スポットがないかもしれない」ということでした。
たしかに、派手な観光コンテンツはないと私も思いました。ただ、街歩きの楽しさはあるかもしれません。三沢のことをあまり知らないわたしたち学生がこの日訪れただけでも、独特の雰囲気の街にさまざまなお店や施設があります。特に飲食店のバラエティはすごく目について興味をそそられました(私はこの日のランチはネパール料理店でカレーをいただきました)。
三沢の特徴ではずせないものが米軍基地です。三沢には米空軍基地と航空自衛隊の基地があり、昔から三沢=基地というようなイメージがあります。スカイプラザという基地のゲート近くにあるお店では、アメリカンな商品が売っていたり、街中では様々な国の飲食店が並んでいたりします。しかし、そのイメージだけにとどまらない、基地に依存しない三沢を作ろうとする意見もあります。
享さん:基地があることは三沢の大きな特徴だと思います。三沢と聞いたら「基地」みたいなイメージはおそらく多くの人が持っているでしょう。
陽子さん:先日、まちづくり座談会に出席しました。そこでは「基地に依存しないまちにしたい」という若い人たちからの意見もありました。基地に頼らない盛り上げ方をしたい、という意見は、将来の三沢を考えるきっかけになるかもしれません。
基地があるからこそ、県内のほかの地域ではみられない日常的な国際交流もあります。しかし同時に、基地は場合によっては住民の不安材料にもなるものですから、難しい問題です。基地に依存しない新たなまちづくりの話が「若い人たち」から出てきたのは、新しい特色を積極的に生み出そうとする動きだと考えました。
ノリがいいのは三沢の土地柄?
新しいものを受け入れる姿勢や、イベントの動員数など、三沢市民にはノリのよさのようなものを示すエピソードがいくつもあるようです。
青森県はクレジットカード決済ができるお店の普及率が全国でも低いとのことですが、県内で三沢だけは突出して上なのだそうです。また、お祭りなどのイベントには三沢市民は親子連れでこぞって参加する雰囲気があるといいます。
陽子さん:三沢はお祭りに行くと、子どもの数が他の市町村よりも多い気がします。
外国人の方も含め、親⼦連れがたくさんいるって感じますね。
日常的に国際交流ができる非常に魅力的な街。また、子どもも祭りに積極的に参加し、子ども同士の交流も期待することができ、大切な思い出を作ることが出来ます。地元の人だけではなく、どんな人でも祭りに気軽に参加できるのは三沢の魅力です。
また、学校などの運動会のようすにも土地柄が出ているようです。お父さんたちの活躍が、ただならぬ雰囲気をかもしだすらしいのです。
享さん:幼稚園の運動会の綱引きをみると、結構恐ろしい光景です(笑)。親どうしの綱引きが本気なんだよ。「米軍 vs. 自衛隊」みたいなかんじで。幼稚園の出し物とは思えない鬼気迫るものを感じました。
仲地:かなり、体格のいい人たちが引き合って迫力ある勝負を…
享さん:ターミネーターかって(笑)
だれにとっても「ふるさと」
三沢市の人口は、転勤で引っ越して来る人(転入)も出ていく人(転出)も多いです。お二人のお話をうかがっていると、お祭りなどイベントへの参加をきっかけに新旧の住人どうし仲良くなるような文化もあるのではないかと思えます。そもそも、住民どうしお互いが知り合う時点で「三沢出身」という前提がないのかもしれません。
陽子さん:会話が「どこから来たの?」から始まったり、「どこの出⾝?」だったり。うちに来るお客さんも「どこから来たの?」が多いかもしれない。地元の⼈という感覚より、みんな転勤族みたいな感じです。
「みんな転勤族」という言葉に表れているように、新しい人がどんどんやってくるので、非常に開放的でなじみやすい土地柄なのではないかと思います。人口が流動的な街であるからこそ、「どこから来たの?」と普段の何気ない会話が始まり、新たな出会いが生まれていくのでしょう。新しい人でも昔からいる人でも関係がない、そんなみんなにとっての「ふるさと」が三沢なのだと思います。
仲地:例えば、新しく移住してきた人と知り合いになる場面でも、どちらかというと石田さんも相手と同じ「転勤してきた仲間」みたいな感じですか?
陽子さん:そうかもしれないです。自分でも、移住してきたときにそういう経験をしたからなのかな。
享さん:やっぱり子どもがいれば、住民どうしのつながりもできやすいかもしれないですね。ママ友とか、子どもがきっかけで仲良くなったりということはあるんじゃないですかね。
自然の恩恵を受けることができ、新しいものを受け入れつつ、それを自分たちの力で創造しようとする街が三沢になります。そんな魅力あふれる三沢を新たな私たちの「ふるさと」にしてみませんか。
(インタビュー 2022年11月26日)