▶︎ 弘前大学の学生による「三沢市の関係人口を創る」プロジェクト

橘 清子さん
インタビュー記事

橘 清子さん

橘さんは、三沢市にある「ケアプランセンターたまゆら」の方で、介護保険のケアマネジャーであり、心理カウンセラー(セラピスト)です。子どもから高齢の方が気軽に交流できる場所づくりをコンセプトとした「一日食堂たまゆら」も不定期で運営されています。インタビューは、「たまゆら」の食堂スペースにお邪魔しておこないました。

橘さんは、もともとは岩手県岩手郡岩手町のご出身で、盛岡赤十字看護専門学校卒業後、同病院で勤務されていました。老人看護に関心をもたれ、縁あって平成7年(1995年)、20代の時に三沢市に移住し、高齢者施設
にて勤務されています。デイサービスや訪問看護など介護関係の多くの在宅サービスの職を経験されました。移住後に結婚された夫と子ども3人、夫のお母さんの6人家族です。とても明るく親しみやすい印象のかたでした。

Interviewer >>
星 佳穂

三沢での暮らし、子育て

橘さんのお子さん3人(うち2人は双子)は、偶然にもみんな同じ誕生日のため、「それぞれの部活の友人を家に連れてくるという誕生日会を何年もやっている」と話していました。その誕生日会のご様子は・・・

橘さん:子どもたちが中学生くらいまで、双子は2人ともフィールドホッケー、上の
子がバレーボールをやっていたから、それぞれ部活の友達を連れて来るという誕生日会を何年間もやっていました。

星:すごい。大々的ですね…。

橘さん:大々的ですよ。誕生会をする部屋をホッケー部の部屋、バレー部の部屋みたいに分けて。スイスロールってあるでしょ?あのロールケーキをアルミホイルに並べてクリーム塗って好きな厚さでセルフで食べなさい、ってケーキを作りました。みんなが卒業して家族だけで誕生日会をやったら、子どもたちが「寂しい」って言ってました。家族だけの誕生会も普通にあると思うんですけどね(笑)。

一人一人のお子さんの所属しているクラブごとに部屋分けして、それぞれの部屋に大きなロールケーキを配る!聞いただけで、とても賑やかな誕生日の様子が想像できます。きっとお子さんもその友達も、橘さんの家での誕生会を楽しみにしていたでしょう。それだけ盛大にやっていれば、部活動を引退してしまうと、ちょっと寂しくなるのも分かります。

星:お子さんが生まれてから、保育園を決めたりすることで、難しかったり大変だったりしたことはありますか?

橘さん:それはなかったですね。下の子を妊娠した時、双子だということもあって私の場合2ヶ月ぐらいは絶対入院になるはずだなと思っていました。その半年くらい前に上の子どもを保育園に預けてという感じで。その時、上の子の保育園の園長先生が、夫は車椅子で大変なことも多いだろうから「下の子も月齢が低いうちから預けて仕事したらいいよ」って言ってくれていたので。そんなアドバイスもあり保育園に関しては本当にスムーズに預けられたなと思いますね。

橘さんの夫は、車椅子テニスで国内外の試合に出場するほど活躍している選手でした。橘さんはケアマネジャーのお仕事、夫は試合で遠征…ご夫婦ともとても忙しかったと思われます。そのなかで子育てをどう乗り切られたのでしょうか。橘さんが頼ったのは同僚・友達でした。

インタビュー風景
インタビュー風景

同僚・友達に頼る

ご夫婦がどうしてもお子さんについてあげられないときに、橘さんは職場の同僚や、友達に頼んだそうです。お子さんたちの保育園の運動会も職場の方など身近な人みんなに来てもらったそうで…

橘さん:(仕事で)訪問して相談を受けているときに、保育園から「熱があるからお迎えに来てください」って連絡がきて、自分が身動き取れないときは迎えに行くのを頼んだり、保育園の運動会は「(運動会の日に)休みをとれる人はいませんか~?」って聞いて、友達に「あなた、お父さん役。あなたはお母さん役でお願いします!」みたいな感じで。とにかく毎年総動員して、友達みんなに来てもらってました。子どもたちも「あなたの本当のお父さん、お母さんどの人なの?」とか言われてましたよ(笑)。でも子どもたちもそういうのを楽しんでもいました。

星:みんなが家族みたいな感じですか?

橘さん:みんなが家族、といえば聞こえはいいんですが、当時は綱渡りのような子育てで…助けていただいた方々には本当に感謝しかないです。とにかく家族が忙しい状態だったので、誕生会も運動会も、子どもたちが寂しくないようにって思っていました。

両親忙しいなか、お子さんたちが寂しくならないようにしていたそうです。そんなとき、助けてくださった周りの方々が、橘さんにとってどれだけ大きな存在だったかが分かるエピソードです。橘さんのご実家も賑やかなお家だったそうで、橘さんの子ども時代は、普段から近所の子どもたちが晩ご飯を一緒に食べることがあったようです。親戚の大人たちも、月に一度は集まって会食していたので、賑やかなムード、そして子どもたちも「その日だけはジュースが飲める楽しい日」だったといいます。

橘さん:あの頃の実家では、家に近所の人が(親子連れで)来る日には、大人たちは飲んで、子どもは普段家で騒ぐと怒られるようなことも、その日は大人の目が届かなくて怒られない。ジュースもいっぱい飲んで、お菓子も食べて、布団でジャンプして遊んでも怒られない日だったんですよ。それが自分の中にベースにあるかもしれないですよね。三沢に来て自分の家族を持ってからも、そうやって近所の方がたや友達と家族ぐるみの飲み会をやるときには、大人は大人の部屋で酒を飲んで、子どものほうは子どもの部屋で遊んで。大きい子が小さい子の面倒を見たりという感じで、そういう感じでしょっちゅうやってたので。子どもたちにとってそんなワイワイガヤガヤというのが、適度に大人の目から離れて、普段やると怒られるようなことをやれる日っ
ていうのがすごく息抜きになったでしょうし。で、自分たち大人も小さい子どもがいると息抜きもしたい。だけど、目が届くところに子どもも置いておきたい。親どうしの近所づきあいとか、大人と子どものあいだのその距離感というのがすんごい良かったんですよね。じゃないと、煮詰まってたと思う。

橘さんは「子育てを家族だけでやることは限界」と経験から実感されていました。地域のみんな周囲の方々の助けがあって子どもを育ててもらったという思いから、「次は自分が」という気持ちで、子育て中の親が子どもを連れて気軽に来ることができる場所づくりを目指して、こころざしました。現在は「一日食堂たまゆら」で新たな食堂の運営に携わっていらっしゃるのはそのためでする。また、現在活動されている「ケアプランセンターたまゆら」の社長さんは昔からの仕事の同僚で、子育てでもお世話になった方なのだそうです。

三沢の利便性

三沢の交通の便については、「三沢は電車もあるし、高速道路も、空港もあって交通の便はいい」と橘さんは話します。別の地域だと、空港まで行くのに数時間かかることも…。冬の三沢は津軽地方や、橘さんの出身地である岩手県内陸部と比べると積もる雪はかなり少ないですが、路面が凍る「アイスバーン」になりやすいので自動車の運転には注意が必要とのことです。

それでも自動車は三沢に暮らす人たちにとって、非常に便利な欠かせない交通手段となっているようです。「ただし、車ばかりで移動していると運動不足になりがち、というデメリットもあると思いますよ」と橘さんは付け加えています。三沢は街のなかにも、街から離れたところにもよいお散歩コースがありそうです。自分のウォーキング・コースをみつける楽しみがあるかもしれません。

インタビュー風景
インタビュー風景

三沢の特徴、いいところ

移住する前の三沢の印象は、米軍の基地があるから怖いところというイメージで、「アメリカ人がいる街に行くみたいで田舎者の自分は住めないかもしれない」と思ったと橘さんは話しています。しかし、その思いは移住されたあとに変化します。

橘さん:実際に住んでみると、どちらかというとアメリカ人の方が丁寧にお辞儀してくれたり、道を譲ってくれたりとか。スーパーに行ってもちゃんと日本語で「ありがとうございます」と言ってくれますよ。英語は得意ではないですけど、ジェスチャーやアイコンタクトで私の言いたいこともきっと通じている、と思いたい(笑)。

移住前後でイメージが180度変わっていることが面白い点だと思いました。ほかにも特徴的な点としては…

星:三沢は、バーベキューが…

橘さん:そうなんです。

星:公園でもできるんですよね?

橘さん:そうそう!お肉屋さんに連絡すると、食材から焼き台から一式、持ってきてくれます。終わったら、道具一式またきれいに回収してくれます。すごく便利ですよ

三沢は、自衛隊の方も含め様々な地域から人が集まってくるため、元々住んでいた人から過度に干渉されることもなく、ちょうど良い距離感で生活できるようです。

橘さん:地域の集まりだから、「あんたも絶対出なさい」みたいなことも意外とないと思います。良いか悪いかは分からないけれど、割とあっさりした関係が、移住者にとっては適度な距離感でいいなと。来たかったら来ればいいよっていう、そのぐらいがすごく⼼地いいなって思いますよね。そこは三沢の良さかなと思います。

ケアマネジャーという多くの高齢者の方を相手にする仕事をされていた橘さんによると、三沢市には出身が九州の方も何人かいたり、転勤で外から来た自衛官の方が退職後に住み続けていたり、という例もあるそうです。移住者にとって住み心地が良いことがうかがえます。

(インタビュー 2022年11月26日)