▶︎ 弘前大学の学生による「三沢市の関係人口を創る」プロジェクト

長田 勇介さん
インタビュー記事

長田 勇介さん

長田さんが最初に三沢市に住まわれたのは1999年。当時は航空自衛隊のお仕事をなさっていました。2009年にいったん東京の横田基地に戻ってから、2018年に再び三沢基地に赴任。その後、2020年に自衛隊を退職し、通訳の会社チャリオット・グローバル・オフィスを立ち上げました。三沢居住歴を合計すると15〜16年になるそうです。現在は奥さんと、お子さん3人の5人家族で暮らされています。明るく、人との関わりが好きな方という印象が見受けられました。

インタビューは、三沢市街地のカフェ兼ライブハウス・イベントスペースの「クロスロード」さんでおこないました。

Interviewer >>
間山 愛莉

外国人との架け橋をつくる

長田さんが起業した理由の一つとして、三沢市に住む外国人の多さを挙げられていました。三沢市に住む外国人は、米軍として三沢基地で生活している人がほとんどですが、病院やスーパーはもちろん三沢市のさまざまな施設を利用します。その際にどう
しても言語による壁ができてしまう。たとえば従業員とのやり取りで対応に困ってしまう日本人も外国人も多く、その人たちを助けたいという思いから起業したとのことでした。

長田さん:三沢市って米軍基地があるからアメリカ人多いじゃないですか。結構英語しかしゃべれなくて、スーパーや、いろんなところで困ってる人も多いんです。例えば「レジ袋有料ですけどどうしますか」って店員さんに日本語で聞かれても、「え、何言ってるかわかりません」と困っているみたいな場面がある。そういうちょっとしたヘルプをしていました。これは困っている人がけっこういるなと思い、英語と日本語で困っている人を助けようという気持ちで起業しました。

このお話からは、三沢を舞台にした国際交流への長田さんの強い思いを感じました。三沢市はイベントが豊富だという印象があるのですが、国際交流イベントは長田さんが移住してきた当時からは減少傾向にあるそうです。そこで長田さんご自身が「じゃあ、俺がやるかって」日米合コンを企画されたこともあったようですが、近年はコロナウイルスによる影響も加わり、残念ながらイベント開催が難しくなっています。長田さんの話からは、せっかく国際交流できるような街なのにそのような機会が作れず悔しい、という思いが伝わってきました。

通訳はとても難しいお仕事だろうと思うのですが、長田さんは小学5年生から中学3年間までをお父さんのお仕事の関係でシンガポールに住まれていたそうで、もともと英語は好きだったとのこと。長田さんご本人によると、三沢に移住してきた時点では日常会話程度の英語力だったのが、三沢に来てアメリカ人の友達と一緒にいるようになって、そこで英語力がさらに向上していったのだそうです。

コロナウイルスによる交流の難しさもありますが、それ以外にも言語の壁が大きく外国人と市民の距離が存在するかもしれません。そんな中でも、長田さんの活動が一つの架け橋として、国際交流の増加に貢献していると思います。このままもっとたくさんの交流が生まれ、三沢市が国際的な街として発展していくことを願っています!

三沢のココが良い!

三沢市の良いところとして、長田さんは、移住してくる人たちに対してとてもフレンドリーなこと、自然が多いこと、交通の便の良さを挙げられていました。

長田さん:三沢のいいところは、自衛隊や米軍があるので、移住者に対しても「よそ者」として敬遠するのではなく、すごくフレンドリーなんですよ。

間山:地元とか関係なく?

長田さん:そうです。関係なく。

フレンドリーと言っても、過度に干渉してくるわけでもなく、ちょうどいい距離感で接してくれるとのことでした。過度な干渉ではないことで移住者も気疲れすることなく、ストレスフリーな生活を送ることができます。その点では、都会の生活に疲れた人などの移住に最適な街だと言えます(長田さんが「都会に疲れた人」だという意味ではありません…)。

長田さんは町内会にも所属しており、住まわれている地域の「横のつながり」を実感しています。

長田さん:私、町内会に入っているんですけど、やっぱり町内会に入る方が減ってきていて。どんどん横のつながりが減少しているなっていうのは町内会⻑とか役員の人も話しています。それでも都会に比べれば横のつながりはまだあるんだろうけども、減少傾向にはあるとは思っています。

東京に住んでいた長田さんにしてみれば、都会の生活は横のつながりはほとんどなく、隣の人がどんな人か、何をしている人かわからない方が多いと言えます。それに比べて三沢市は、町内会の人数は減少傾向にあるものの、近所の顔見知りの関係がまだあります。そのことから横のつながりが生まれ、三沢暮らしの魅力アップに繋がっていると言えます。

また、交通の便の良さは、三沢空港や、電車や車で30〜40分の距離にある八戸駅の新幹線があることが挙げられます。

長田さん:東京に行くときの交通の便では不便さは感じません。家族で移動するのは主に新幹線になっちゃうんだけど、三沢空港も近いし駐車場もタダだし、交通の便利さでいえばすごくいいと思います。

東京に里帰りをするときはもちろん、旅行にも行きやすくなるため、とても良いと話していました。飛行機や新幹線などの公共交通が近くにあることで、青森県内だけでなく、日本全国さまざまな場所に行くことができます。これは、子どもにも多くの経験をさせることができるため、子育て面のメリットとしてもはたらくように感じました。

インタビュー風景
インタビュー風景

アメリカ人とも友だちに

長田さんは、スノーボードをしているという話を伺いました。たしかに、青森県に住んでいるならウィンタースポーツは魅力的なレクリエーションのひとつです。スノーボードは、ご家族といっしょに行かれることもあるそうですが、お友達とも行かれるそうです。

間山:スノボ友達とかいるんですか?

長田さん:アメリカ人のスノボ友達がいるから一緒に行ったりしてます。

間山:スノボ繋がりで仲良くなったとかあるんですか。

長田さん:あるある。昔、スノボ繋がりで友達の友達が連れて来てそこで仲良くなったりということがありました。

間山:なんかフレンドリーそうですよね。

長田さん:そうなんです。結局向こうも日本人の友達を欲しがってて、せっかく日本に来たんなら日本のお友達が欲しいみたいな人も多いし。なので、この機会に三沢をもっと知ってほしいなって思っています。

間山:面白そう…

三沢在住のアメリカ人は家族連れの方も多くいます。そこで、家族ぐるみの交流を通して子ども同士も友だちになったりするそうです。私は英語でのコミュニケーションは苦手なのですが、遊びに来てみたいなと思いました。

2度目の三沢での子育て

長田さんは自衛隊時代、独身のころに10年間ほど三沢市に住み、その後10年間東京の横田基地に赴任したあとに、再び三沢市に赴任されました。1度目に暮らした独身時代は、東京に比べて三沢は何もない街…という印象だったそうです。奥様とはこの最初
の10年間に、三沢のお祭り「アメリカンデー」で出会われています。ご結婚は、その後の東京赴任が決まってからのことでした。2度目の三沢移住は、長田さんご自身が希望を出して決まりました。

間山:また三沢に戻ってきたのはなぜでしょう?

長田さん:自衛隊の命令です。自衛隊のシステムだと、⻑く同じ基地にいられなくて、転勤しなきゃいけなくて…。それで、一応希望は聞くから行き先を選んで、と言われたときに、じゃあどうしようかってなって考えました。その時にはもう家族がいたので、妻が青森県の出身で、親族もいるし⻘森に戻るか、ってなって、⻘森は三沢が住み慣れているから「三沢基地」と希望を出し、三沢に戻ってきました。

2度目の三沢での暮らしが始まった時点では、まだお子さんが幼稚園の年齢。奥さんが口コミでいい幼稚園の情報を聞いてきて、下のお子さんの保育園もその幼稚園の系列のところに決めました。三沢は小さな子どもを育てるにはよい環境だということですが、「子育て関係でなにかご不満な点を挙げるとすれば?」と尋ねたときのお答えは、「病院がちょっと少なくて、混みがちなところかもしれない」ということでした。

また、自然が多いことは、子どもたちの教育にとても良いとも話されていました。

長田さん:遊ぶときは近所の公園に行ったりとか、あとは漁港に釣りに行ったりとか。三沢は子育てに関してはすごくいいと思っています。というのは、自然がいっぱいあるんですよ。多分高校生くらいになると物足りないんだろうけど、小学生、中学生くらいだと逆によけいな誘惑がなくていいかな。

子どもたちも時代が進むにつれ、外で遊ぶよりも家の中で遊ぶことが多くなってきています。しかし、子どもが成長する過程で、自然の中で外を走って遊んだり、虫や花を見つけたりすることは、非常に重要なことだと言えます。このような経験ができるのは、都会では得られない、三沢の特徴の一つだと思います。

(インタビュー 2022年11月26日)