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寺山修司記念館 施設取材記事

寺山修司記念館

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齊藤 拓規
齊藤 拓規
吉田 黎王
吉田 黎王

平成9年(1997年)7月に開館した寺山修司記念館では、寺山修司の母・はつ氏によって寄贈されたいくつもの作品を、見て、読んで、聴いて、そして「探して」味わうことができます。どのような魅力があって、寺山修司は今日のような全国的な人気を博しているのでしょうか。本館を覗いてみましょう。

独特の雰囲気を放つ寺山修司記念館の外観
独特の雰囲気を放つ寺山修司記念館の外観

寺山文学に親しんでいない人でも楽しめる?

館内には、常設展示と企画展示があります。私たちが訪ねたときには、寺山の思想や考えが机の引き出しの中に随所に散りばめられている常設展、寺山のラジオドラマを聴くことができる企画展がありました。時期によってどのような展示が並べられているのかは行って確認するのがよさそうです。

正直言って、わたしたちは有名人である寺山修司の名を知ってはいるものの、それほど寺山作品を読んだり、みたりしたことがあるわけではありませんでした。また、文学観賞にも特別に興味があるわけでもありませんでした。文学関連の記念館…と言われても縁遠い感じがします。しかし、この寺山修司記念館は、ほかの文学者の記念館と比べても明らかにテイストが異なる気がする、と訪問する前から学生どうしで話していたのでした。

演劇や文学、それに準ずるものというのは、一概に解釈がひとつにまとまらないものです。というのも、演劇や文学を「鑑賞する」側である私たちは、各々その作品についての理解や解釈の程度がちがっています。あらすじなどの話全体の流れについてはだいたい同じ理解であっても、その話のなかで直接触れられていない時代背景や寺山の人生の背景などに深い理解があるかどうかで、作品の設定への理解が個々人でバラバラになってしまうからです。こういうことが、私たちが文学をなんだか「難しい」ものと考える要因にもなっているのでしょう。

まるで寺山の舞台に入り込んでしまったような…
まるで寺山の舞台に入り込んでしまったような…

作品に潜んだ悪戯?

今回案内して下さった学芸員の広瀬さんの話を聞いてとても印象に残ったお話があります。寺山修司は敢えて、その細かい背景や設定について明言を控えている。私たちが能動的に「探す」ように仕向ける、というのです。これは寺山修司を味わうときの鍵になりそうです。彼の作風であるといえばそれまでですが、彼はある種の悪戯を作品に潜ませて、作品を見る者と楽しもうとしているようにも感じます。

寺山は自らの信念を、演劇は半分寺山自身が、もう半分はオーディエンスが主体となって作るものだと謳っていたのだそうです。私たちはこの記念館を歩く中で、寺山が伝えたかったことを、文字通り引き出しの中へと懐中電灯を用いながら「探して」いくのです。

寺山作品の魅力はわたしたちがこれまでにイメージしていた文学のお堅さともちがうし、単純なエンタメともちがっている。少し怖い。でも見てしまいたい、知りたいという気持ちが勝ること、寺山の作品や彼のことをよく知っているなら尚のことです。ポスターなどを見ても、戦後の映画のような雰囲気が悠然と漂っており、どうもとっつきにくい、でも逆に見入ってしまう不思議な魅力があります。花札のようなポスターや、ある種教訓とも逆説とも捉えられる寺山の言葉が、私たちを昭和の街に迷い込んだような気にさせます。

机の引き出しを開ける。いつの間にか距離をもって「観覧」する人ではなくなっている
机の引き出しを開ける。いつの間にか距離をもって「観覧」する人ではなくなっている

記念館のなかの独特の時間

会場のところどころに指差しのオブジェが
会場のところどころに指差しのオブジェが

寺山についてあまり知らない私たちにとっても、展示内容は魅力的でした。先程から「探す」という言葉に重きを置いてきましたが、一瞥したり、少し目を凝らして見たりしただけでは、作品の背景や深淵に触れることは出来ません。所々の展示に仕掛けられた寺山の示唆を見つけることで、段々と寺山の世界に吸い込まれていくような感覚でした。展示以外にも、施設の様々な場所に、寺山の趣向が全開に解き放たれています。指を指す手のオブジェが多くて、どこに行くか迷ってしまうくらいです。

さて、ここまでは記念館の展示について触れてきました。実は、記念館の外にも展示があることを皆さんはご存じでしょうか?先程少し触れた「手」に導かれて館内の扉から外へ出向くとそこから道が10分程度続きます。道を上っていくと寺山の歌碑にたどり着き、そこでも寺山の作品に触れることができるのです。道中は小川原湖を望むことができ、景色も楽しめます。

今回参加した学生6名は全員が、寺山修司記念館に入ったのは初めてでした。寺山のことを知らなかったにもかかわらず、どの展示にも見入ってしまいました。特に、机の引き出しを開ける展示は魅力的に感じました。映画作品を作成したときの道具や原稿資料など本人の使用したものが机の中に隠されています。机は10卓ほどあり、それぞれ開く度にどのようなモノが納められているのか、興味をそそられました。机の引き出しは二段三段となっていて一つの机のなかから出てくるものもけっこうなボリュームがあります。

このように、ただ記念品が並べられているだけではなく、仕掛けの手が込んでいたことで飽きることなく楽しめました。詩の原案や、原稿用紙にある下書きにある寺山の筆跡から、かれを不思議な近さで感じたり、当時使用されていた筆記具など自分の今持っているものと比べてみたりすることでいまと寺山の時代とのギャップを感じられたことも、とても面白かったと感じます。館内には過去に上映された映画作品のタイトル総集が壁に掲げられていました。知らない映画ばかりでしたが、寺山の映画製作の軌跡を知ることができました。

記念館のとなりの小田内沼
記念館のとなりの小田内沼

さいごに、個人的にいちばん心を打たれた作品は、数々の文字のオブジェです。たくさんの「私」という文字の中に1つだけ「死」という文字があり、初めて寺山修司の世界に触れた衝撃と、そのシュールな存在感に心を打たれました。印刷された文章の中での文字と、展示のなかに物理的なオブジェとして存在する文字では、こんなに感じ方が違うのか、と感動しました。

オーディエンスとなるあなた自身も、寺山の作品を成す「半分」なのです。あなたも一度、寺山の作品に触れて見ませんか?一緒に寺山修司の作品の「半分」になりませんか?あなたの世界も、寺山の世界も、そこからまた広がっていくのです。

( 取材 2022年11月26日 )