▶︎ 弘前大学の学生による「三沢市の関係人口を創る」プロジェクト

広瀬 有紀さん
インタビュー記事

広瀬 有紀さん

広瀬さんは東京都小金井市出身で、2015年に三沢市に20歳代で移住されました。現在は、寺山修司記念館で学芸員として働いていらっしゃいます。
わたしたちは寺山修司記念館を訪ね、常設展と企画展「寺山修司のラジオドラマ」を観たあと、広瀬さんにお話をうかがいました。

青森から遠く離れた東京から、どのような理由で三沢市に移住したのか、また暮らしてみて感じる三沢市の良さについてお話しいただきました。

Interviewer >>
川口 良道

三沢市に移住するきっかけ

広瀬さんが三沢市に移住したのは、現在のお仕事である寺山修司記念館の学芸員として着任するためでした。

広瀬さん:三沢に移住するとき、とくに大きな不安はありませんでした。だいたい学芸員というのは、自分の専門とかやりたいことがある土地にパッと移住する、というのは結構ある話です。学芸員は研究者ですので、研究ができるところが自分たちの住むべき場所、というような発想で私も三沢に来ました。寺山の作品に出会ったのは大学生のときです。それはラジオドラマだったんですが、「大礼服」という作品で、そこからすっかり寺山にはまってしまいました。そうしている間に寺山の仕事が舞い込んできて、学生の時から寺山に関連する研究に関わるようになったので、⻘森県には実は何度か来ていました。それでなんとなく雰囲気も知っていたし、移住するということ自体はあまり不安もなかったのかなと思います。

もともと三沢市にゆかりはなく、また大学での専攻も現在のお仕事から連想される日本近現代文学ではなく、西洋美術を勉強されたそうです。大学時代に、寺山修司の作品と「出会った」ということでした。

また、広瀬さんは「移住のインタビューだから答えているというわけじゃなくて」と前置きをしながら、三沢への移住について「最後に背中を押してくれるもの」として、三沢市の食べ物の魅力について話してくださいました。

広瀬さん:私は食道楽で魚介類が好きなんです。移住を決めるのに最後に背中を押してくれるものが欲しくて、何かあるか調べたら「おいしい魚がある!」と思って(笑)。
それが割と大きな決め手だったっていうのはありますね。

川口:お好きな魚介類はなんですか?

広瀬さん:私はサバがとにかく好きで、三沢にはサバを目指して来たようなものです(笑)。それから、三沢に来るまでイカのおいしさは知らなかったです。イカの腑巻きとかね。あれは東京にないんですよね。酒の肴好きとしてはもう大興奮!!あともう一つ知ったのが、ヒラメが素晴らしい!都内で食べるヒラメとは別物です。魚が違うんじゃないかというレベルです。アナゴとかも良いしね。ウナギも知らなかったし。でも、下戸でお酒は飲めないんですけどね…(笑)。酒の肴全般が、なぜか好物なのです。

研究者としてご自分の専門を職とした生活を送り、美味しい魚を食べて生きていく。かっこいいです。三沢市には飲食店が数多くあり、お客さん同士の横のつながりというのもできたりしやすいと言います。

インタビュー風景
インタビュー風景

文化に直接向き合い、交流する施設として

学芸員の仕事は、当初思っていたよりも来館者と交流することが多く、施設の奥に閉じこもって作業するというものではない、と広瀬さんはおっしゃいます。寺山修司記念館に来る方は、(わたしたちのようにほとんど知らずに来るビギナーズもいますが)寺山についてさまざまな思い入れや思い出を持っている方も多いのだそうです。

そういった来館される方がたとの会話のなかで、彼らの寺山についてのさまざまな思いを教えてもらい、「やりとりしていくなかでつかめる寺山像がすごく面白い」ということでした。文化コンテンツとしての美術館・博物館について、交流人口を創り出す場所としてどのようにお考えか、聞いてみました。

広瀬さん:今の⻘森は、美術館や博物館、特に美術館ラッシュですね。例えば、弘前にレンガ倉庫も出来ましたし、八戸にもできましたしね。「青森アートミュージアム5館連携」という大きな動きも出てきているので、「文化」というカテゴリーでは寺山ファンを巻き込むことができるのではないかと思います。文化好きの人たちは横のつながりを求めていると思います。好きな人同士で情報交換するとか、そういうやり方がすごく楽しいんです。「今度こんなことやるよ」というようなことを横で繋いで動いていくことも多々あるので、連携してやっていく意味は大きいと思います。

三沢暮らし

三沢暮らしの特徴がよく表れているエピソードは何でしょうか、と私たちが尋ねたときに、広瀬さんが話したのはタイヤ交換にまつわるエピソードでした。

広瀬さん:11月下旬に遠方に出張して三沢に戻ったときに、自動車のタイヤが冬タイヤに変わっていたことがありました。同僚がタイヤ交換をしてくれていたんです!雪国の人たちの「お互い様だよね」という、大変なところを協力しあうというやさしさに、これまで何度も助けられています。

とてもいいエピソードをいただきました!ところで、東京ご出身の広瀬さんは「雪国」とおっしゃいますが、三沢市など県南地方は太平洋側で、青森県のなかでは降雪量が少ないほうだけどなぁ…と県内出身の筆者の感覚ではついつい思ってしまいます…。

また、三沢市は移住者が多い街で、人口の流動性が高いところだという側面についてもお話いただきました。

広瀬さん:三沢市には自衛隊の基地があり、住民の入れ替わりのある街になりますので、そういう人達を受け入れる地盤、土壌はそもそも長いことあると思っています。
例えば移住者にとって、住居探しは最初の難関かもしれないと思いますが、私が移住して来た時には、アパートも探しやすく特に苦労はしませんでした。

さらには、スーパーが遅くまでやっているということや、朝早くから夜遅くまでやっている温泉が数多くあって、気軽に温泉に入れるといった生活に関するエピソードもお話いただきました。

広瀬さん:三沢では気軽に温泉に入れるので、それは間違いなくアドバンテージですよね。温泉の選択肢が多くあるというところ。少しずつ減っていますが、それでも東京で銭湯に入ろうとして、朝から入れる銭湯なんか存在しません。だいたい早くても昼の3時からとかで、夜の10時には閉まっちゃうとところがざらなので、こんなに長い時間営業している温泉があるっていうのは、もうとにかく驚きました。

三沢市のこれから

川口:これからの三沢について期待することはありますか?

広瀬さん:何か変わってほしいとか、何か面白いことを待っているのではなくて、とにかく自分たちでやっていきたいという人達がいる場所はやっぱり大事で、それを感じられるかどうかっていうのは結構大きいかなと思います。

三沢にはほかにはないおもしろい取り組みをやりたいと思った時にやることのできる土壌があり、実際に広瀬さんのお知り合いも「マーケットキャラバン」というストリートマーケットのイベントを主催されていたりします。若い人たちがこれから三沢市で生活していくためにどんなコミュニティーをつくることが必要かを考えてさまざまな仕掛けに取り組んでいる人たちが三沢の街でさまざまな活動を展開しているようです。将来的にはボランティアなどもふくめ、だれでもアクティブに活動できる場所ができればよい、とのお話も聞かせていただきました。

インタビュー風景
インタビュー風景

(インタビュー 2022年11月26日)